ブログ:我が心のネパール-回想と展望 (UNDPネパール元事務所長 野田章子)

2015/05/15

災害リスク削減を取り扱った学内新聞を見せる学生

現在の赴任地、モルディブで週末を楽しんでいた私に、1通のメールが届きました。「ネパールで地震。マグニチュード7.5~7.9」。

すぐにBBCを見ると、ニューデリーの特派員がネパールの地震に対する脆弱性について話していましたが、リアルタイムの情報はほとんど入りませんでした。フェイスブックやツイッターでは、ネパールにいる同僚や友人たちの安否確認が取れはじめ、徐々に、破壊された建物や世界遺産の映像が入ってきました。それ以来、私は地震の壊滅的な被害に愕然としています。

日本人として、私自身、地震は他人事ではありません。ネパールの映像を見た時、20年前の記憶がよみがえりました。故郷が大地震に襲われた1995年、私は東京で暮らしていました。神戸の壊滅的な様子を眺めるだけで、何もできませんでした。生まれ育った町が破壊され、家族や友人が被災したことを知ると、トラウマや悲しみは改めて大きくなりました。

2011年3月、大津波を引き起こした東日本大震災の3日後、私は国連開発計画(UNDP)での新たな勤務地、ネパールの首都カトマンズに到着しました。UNDPは幅広い分野で活動していますが、私は常に、災害リスク管理に関心を寄せてきました。ネパールにおける大地震のパターンを見ると、次の災害が間近に迫っていることは明らかでした。自分にどのようなことができるのか、問いかけました。

災害に対する備えが人命救助にどれだけ役立ったか、そして、今後どのような改善されうるかについて、適切な評価をする必要はありますが、同国で導入された「防災体制」が機能していることは確かなようです。各郡の緊急時対応センターは、被害の状況をリアルタイムで第一対応者に伝えました。UNDPとそのパートナーによる建築基準の施行に対する支援、武装警察やネパール警察に対する支援、そしてコミュニティによる防災活動は、被害拡大を防ぐ上で重要な役割を果たしたと見られます。

2012年1月の「全国地震安全デー」にあたり、私は数百人のネパール人に対し、ハイチの規模の地震がカトマンズで起きれば、もっと悪い事態が生じかねないという話をさせていただきました。空港への被害とカトマンズ盆地周辺での地滑りによって、人道援助が何週間も届かない可能性があったからです。また、ハイチ、パキスタン、神戸など、世界で最悪の地震被害統計を紹介し、災害の規模を左右するのは、地震の大きさではなく、防災への取り組みによるものであると説明をしました。

2014年の「全国地震安全デー」には、120人を超えるボランティアを集め、リスクや保護対策への認識を高めるため、銀行やスーパーマーケットで地震避難訓練を実施しました。私自身も、2つの銀行で「伏せる、隠れる、動かない」という訓練に参加しました。参加者に対しては、家族や友人と経験を共有するようにお願いしました。地震の時には、誰もが自分で自分の身を守らねばならないからです。日本の学校では年2回以上、このような訓練が行われていることも説明しました。今回の大地震が発生した4月25日、この教訓を思い出してくれた参加者はいたでしょうか。

ネパールのパルパ郡では、2日間のトレッキングで村を何か所も回ったことがあります。こうした村落に通じる道路はありません。何年も政府の職員に会っていないという不平を漏らす村民もいました。こうした立ち入りの難しい村々には、誰が人道援助物資を届けているのでしょうか。私は国内全土で、多くの男性が国外に出稼ぎに行っているコミュニティをしばしば目にしました。女性の世帯主は、こうした重い援助物資を運べるのでしょうか。社会的に排除されたダリットのようなグループが人道支援を受けているのかどうかも心配です。

私はネパールでの勤務を思い返しながら、私たちのプログラムは変化をもたらしたのだろうか、私たちの努力は実を結んだのだろうかと考えると共に、そうであることを信じてもいます。復興と再建には、気の遠くなるような取り組みが必要だとしても、ネパールの人々のレジリエンスと、UNDPを含む国際社会の支援は、この課題の克服にきっと役立つことでしょう。

野田章子
モルディブ国連常駐調整官兼UNDP常駐代表
UNDPネパール元事務所長

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