田中明彦JICA理事長特別寄稿 「人間の安全保障:より安全な未来に向け、より強力な枠組みを」

2015/07/02

国際協力機構(JICA)理事長 田中明彦

「人間の安全保障」という概念は、1994年の人間開発報告書で提唱されて以来、グローバルな開発に関する議論で重要な役割を果たしてきました。特に日本では、人間の安全保障を「我が国の開発協力の根本にある 指導理念」として開発協力大綱に盛り込み、重視しています。

しかし、この概念は様々な解釈がなされています。国連開発計画(UNDP)が1994年に出した前述の人間開発報告書では、人間の安全保障を恐怖からの自由、そして欠乏からの自由と捉えました。ただ、その後、「人間の安全保障」概念は徐々に、おそらく正しい方向に拡張されてきており、2012年の国連総会決議は人間の安全保障を「貧困と絶望から免れ、自由と尊厳のもとに生きる権利」と表現しました。しかし、この人間の安全保障という概念は、どう解釈されようとも、「人間開発」と密接に関連することは明らかです。人間開発は、人間の安全保障という基盤を必要とする一方で、人間の安全保障を強化していく手段でもあるからです。

私の論文では、人間の安全保障に対する脅威の種類と原因、そしてこれらに対処する手段を考えるための枠組みを提示しています。

人間の安全保障に対する脅威
人間の存在を脅かすほとんどの危険は、人間の安全保障上の脅威として位置付け、類別していくことが可能です。一つのシンプルなやり方としては、「生存」への脅威、「生活(well-being)」への脅威、「尊厳」への脅威の3つに分類できます。また、これらの脅威は、物理的システム、生物的(living)システム、社会的システムのいずれが原因であるかという視点から更に細分化することが可能です。

まず、物理システムに属する脅威としては、地震や洪水、津波といった自然災害が挙げられます。そして、生物的なシステムの中、すなわち生物学的領域にある脅威としては、病気や飢饉、そして生態環境上の災害が含まれます。例えば、20世紀初頭に流行したインフルエンザは、第1次世界大戦よりも多くの命を奪いました。社会システム内の脅威としては、戦争や強制移動が含まれます。この社会的システム内の脅威については、更に社会的、政治的、経済的状況の3つに分類することで有益な示唆が得られると考えられます。

物理的な要因が単独で直ちに人間の安全保障を脅かすのではありません。物理的要因と、生物的、社会的要因との相互作用が重要な結果をもたらすのです。これと同様に、物理的要因、人間、生物学的領域との相互作用が、病気を蔓延させ、あるいは自然災害の被害の拡大を引き起こす恐れもあるのです。

人間の安全保障の強化
人間の安全保障を強化するには、一般的には、脅威の原因を減らすか、脅威がもたらす結果を緩和するかの2つの方法があるといえます。もちろん、例えば地震の原因であるプレートの動きを止めることはできないように、脅威によっては、その原因そのものを排除することはできません。その一方で、ウイルスや感染症による脅威は、直接病原菌を撃退することで減少させることができます。ポリオ・ウイルスは、パキスタン、アフガニスタン、ナイジェリアなどの国々ではまだ闘いが続いていますが、世界の多くの国・地域では根絶されました。しかし、多くの病気では病原菌を根絶することが困難であり、そのように根絶が困難な病気については、病原菌が人間にもたらす悪影響を減らすような試みが必要です。

生活に対する脅威を減らすことも容易ではありません。「包摂的な開発」が、開発アプローチとして望ましいものであるというコンセンサスはでき上がりつつありますが、その一方で、包摂的な開発のための具体的な手段とは何か、という点については目下、議論が活発に行われているところです。鍵となる手段の例としては、国全体に裨益するインフラ、基礎教育の完全普及、零細農家の地位を向上させる農業政策、男女双方を対象とした職業訓練、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ、全ての人への十分な栄養の提供、そして世界経済の安定などが挙げられるでしょう。

しかし、これらはいずれも効果が出るまで長期間を要する手段であり、自然災害や内戦、病気の大流行が人間の安全保障を脅かしているような状況下での人々の保護には必ずしも役立ちません。このようなケースでは、人道援助や短期で柔軟な職業訓練のような防御メカニズムが重要です。

また、尊厳への脅威に対応するためには、多くの場合、南アフリカのアパルトヘイト体制撤廃に大変な努力が必要だったように、制度・組織を対象とした根本的な構造改革が必要なのです。

ここで、人間の安全保障は誰が提供すべきなのかが改めて問題となります。主権国家に重要な役割があることは明らかですが、とはいえ、国家の能力には限界があり、多くの脅威は、一つの主権国家が対処できる範囲を超えたものであるのは間違いありません。気候変動、生物・環境、経済、社会などの様々な面に存在する、人間の安全保障を損なう根深い脅威は、国境をものともせずに拡がります。このため、私の論文では、地球規模でかつ相互に関連した世界において、国家、国際組織、企業、市民社会団体、学術機関など、さまざまな関係主体の協力が不可欠であると論じています。

現代の世界では、地質、地理、気候、生物、社会システムがグローバルなレベルで相互に作用し、一国家の単独行動ではそれらが生み出す脅威に対抗しきれません。人間の安全保障は、この21世紀の世界に合致した概念です。その一方で、我々は脅威の根本的な原因や相互作用、脅威への対処方法について、未だにあまりに無知であり、私の論文もこの点を指摘しています。ただ、私の見方の多くはまだ初期的なものです。人間の安全保障に対する理解を深めるために、理論的に更に精緻化するとともに、より多くの実証研究を実施しなければなりません。まだまだやるべきことは多く残されているのです。

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