UNDPの援助最前線レポート: 人間の安全保障を実現するための不可欠なパートナーとして-中東編-

2016/05/18


2015年10月月から国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部対外関係・アドボカシー局ジャパン・ユニットに勤務している水野光明です。ジャパン・ユニットでは主に、日本からUNDPへの拠出金の管理と、日本とUNDPとの間の協力を促進する仕事をしています。今年3月、日本政府の補正予算から、52件のUNDPプロジェクトのために計2億8000万米ドルの拠出をいただきました。その多くが中東とアフリカ地域に集中していることから、4月から5月初旬にかけて、パレスチナ自治区、レバノン、シリア、イラクで実施するプロジェクト16件を視察しました。

パレスチナ
ガザ地区では、ハマス政府とイスラエルとの対立で、過去10年間だけでも3度の武力衝突が発生しています。東京都23区の6割程度という狭い土地に180万人のガザの人々が暮らし、周辺のイスラエルやエジプトとの境界には高い壁が築かれています。また、外部からガザ地区への物資搬入はイスラエルからの1箇所に限られ、その物資搬入は厳格にモニタリングされています。こうした中、ガザの人々は、燃料不足から1日3~8時間しか電気が使えず、塩分混じりの水で生活し、食料の60%を援助に依存し、失業率はほぼ2人に1人の45%(若年層の失業率は70%)に上ります。

日本は、1993年以降、パレスチナに対して計17億米ドルの支援を行い、その6割以上が国際機関を経由しています。今回はUNDPを通じて行われた水道、道路整備、ごみ処理施設を視察し、日本の支援がガザの人々の日々の生活に大いに役立っている様子を見ることができました。

ヨルダン川西岸地区
パレスチナ自治区の西岸地区では、2006年に日本のイニシアティブで発表された「平和と繁栄の回廊」構想に基づいて推進されているジェリコ農産加工団地を視察しました。これは、持続的な和平実現には、当事者間の信頼醸成を促進することが重要であるという考え方に基づいて、日本、パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの地域協力によってパレスチナの経済的自立を促す取り組みです。UNDPは、この日本のイニシアティブの下で、ジェリコ農産加工団地のインフラ整備を担い、すでに2つのパレスチナ企業が操業を開始し、年内に10社が稼動する見込みです。

レバノン
レバノンは、中所得国であり、日本政府の二国間援助においては「(支援)卒業国」です。しかし、レバノンでは、キリスト教徒とイスラム教徒の間で政治権力配分がなされて、バランスの確保が重要と考えられていることから、パレスチナ難民には財産権・相続権が与えられず、職業の選択権も制限され、居住する家の改築すら認められていません。そこで、日本は、UNDPを通じてレバノンで暮らすパレスチナ難民とホストコミュニティの支援を行っています。さらに、最近のシリア危機により、岐阜県程度の国土に100万人を超えるシリア難民がレバノンに流入しており、シリア難民とホストコミュニティ支援のニーズの高さを窺い知ることができました。

シリア
2011年のシリア危機発生以降、日本大使館およびJICA関係者はシリアから退避し、二国間援助は中断したままです。シリアでは、ダマスカスから150キロメール程度北に位置するジャンダール発電所を視察しました。この視察には、セキュリティ担当が同行し、2台の防弾車で護送を受けて走り、途中何度もセキュリティの「チェックポイント」を通過しました。

ジャンダール発電所は、1990年代に日本の支援で建設された国内最大規模の発電所であり、国全体のニーズの25%の発電能力を有しており、この度、日本の拠出を得てUNDPがスペア部品の交換を行いました。電気は、飲料水供給、下水処理、医療施設、学校等、人々が生活する上で必要不可欠なものです。被災地生活に電気がない状況を想像していただければ、電気が如何に死活的に重要かを理解していただけるものと思います。同発電所は、ダマスカス市内にも電力の3割程度を供給していますが、燃料不足による稼働制限により、ダマスカスの1日の電力供給は3~6時間に限られている状況です。

ジャンダール発電所からさらに北上し、内戦で多大な被害を受けたホムス旧市街の瓦礫撤去プロジェクトを視察しました。UNDPは、戦災による瓦礫の撤去を現地の人に日当を支払いながら行う「雇用創出・現金報酬(cash for work)」の手法で行っていますが、まだ資金が足りておらず、道には多くの瓦礫が残っていました。人々に通常の生活に戻ってもらうためには、瓦礫の山を早急に撤去する必要があります。UNDPはこのほかにも、女性への洋裁指導、技術者訓練などの生計プロジェクトを行っています。

イラク
イラクでは、同国北部のシリア国境付近にあるニネワ県のズマ(Zummar)という町を視察しました。ズマは2年ほど前にISILから解放された町で、1年前から日本政府の拠出でUNDPが病院、学校、給水、ゴミ処理支援といった人々がこの町で生活を再開するために必要な支援を行いました。その支援成果もあり、多くの住民が町に戻って来ている状況を見ることができました。この町に行くのに、我々の宿泊先のドホーク(Dohuk)から1台の警察車両が我々2台の防弾車をエスコートしてくれました。ズマに行く途中のモスルダム湖の近くで、ISILに協力した町が空爆で壊滅的な被害を受けていました。これは、解放時に見せしめで行われたものだといいます。ISILへの協力者は町には戻れず、難民・避難民となって逃亡生活を行うか、ISILに合流するかのいずれかの選択を迫られているようで、コミュニティ・レベルの和解の難しさを垣間見る思いがしました。

以上のように、今回の出張では、日本が二国間援助ではなかなか手が届かない地域に、UNDPが日本の拠出を得て、日本が目指す人間の安全保障を実現させている現場を見ることができました。人間の安全保障の概念は、「欠乏からの自由」、そして「恐怖からの自由」を実現するために、人々の生命を救う人道支援とともに、人々の自立を促進する自助努力支援の両面に取り組もうという日本の政府開発援助(ODA)の20数年来の基本哲学です。この日本の基本哲学を共有するUNDPとのパートナーシップが、ガザ、レバノン、シリア、そしてイラクにおいて苦しむ人々に生きる希望を与えています。

ホムスの瓦礫が撤去されたスーク(商店街)で商売を再開した3軒の店の1つのチョコレート屋さんで、復興を願い、現地の経済に少しでも貢献できればと、チョコをお土産に購入しようとした際に、お店のご主人から、瓦礫を撤去してくれたお礼だから代金はいらないと受け取りを拒否されそうになりました。

また、ガザ滞在中、スポーツを通じてガザの若者の過激化防止に役立てようと、大久保武パレスチナ関係担当大使の発案で、ガザの若者向けに創設した「東京リーグ」の女子バレーボール決勝戦を視察しました。この時に見た、ヒジャブと呼ばれるスカーフを着用した女の子たちが目を輝かせてスポーツを楽しむ姿は本当に微笑ましく、もしかしたら一生この狭い地域から出られないかもしれない若者にとって、この東京リーグは一生忘れられない楽しい青春の思い出として胸に刻まれるのかもしれないと思いました。

今回の出張を通じて、強く感じたことが2点あります。まず、国連は、危険な地域で人道・開発支援活動を行うことができるよう職員のために細心のセキュリティ対策を講じています。これにより、国連職員の安全が図られています。私のシリアやイラクでの視察が可能になったのも、この対策のおかげです。しかし、それにもかかわらず、人道・開発支援を行っている最中に、殉職される国連職員の方々が少なからずおられるということです。

そしてもう一つ忘れてはならないのは、国連で働く現地スタッフの存在です。UNDPのフィールド事務所の職員のほとんどは、現地スタッフなのです。彼らは自分の生まれ育った国・地区にとどまり、その厳しい現実と真正面から向き合っています。そしてなんとか自分の国・地域の生活を改善しようという強い願いを持って真剣に働いています。

私は、ガザのUNDP事務所で、現地スタッフの1人に呼び止められ、「UNDP職員としてではなく、1人の人間として日本に感謝したい。この気持ちを日本の人々に伝えてほしい」と依頼されました。このことを最後にご紹介して、私の出張報告を締めくくりたいと思います。

国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部
アドボカシー局ジャパン・ユニット
水野光明

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