敢えて挑戦を

国際女性デーに寄せて

2021年3月8日

 

ニューデリーにてウェイスト・ピッカーに配給品を配る野田章子インド常駐代表 Photo : Deepak Malik/UNDP India

 

私は2015年にUNウィメンが開催した「国際女性デー」サミットで、ヘンリー王子との結婚したことで知られるメーガン・マークル氏がまだ11歳のころ、女性の権利の唱道者としての活動をどのように始めたかについて演説する様子を目にしました。メーガン妃は、よく流れていた食器用洗剤のテレビCMに「油で汚れた鍋やフライパンと格闘する全米の女性たちへ」というキャッチフレーズが使われていた点に大きな違和感を持ったと語っていました。このことを学校で話すと、クラスメイトの男子2人がこう言ったそうです。「確かに、女の居場所は台所だからね。」

日本で育った私は、同じ11歳のころには正直、ジェンダーの平等について考えたこともなければ、メディアで見られるジェンダーのステレオタイプ化に気づいたこともありませんでした。女性の役割はそのように決められ、社会的な分担が成り立っていると思っていたのです。しかし、中学高校時代から少しずつ、女性が家庭や職場、そしてメディアで、伝統的に期待される役割の中に閉じ込められていることについて、違和感を覚え始めました。国連での最初の担当は女性のエンパワーメントに関するプロジェクトでした。そこからの経験も交え、昨今ジェンダーの平等を求める声が世界的に高まっている中、テレビ番組やコマーシャルも含め、社会がいまだに女性に対してステレオタイプをもって接している状況には、うんざりするものも多くあります。

メディアが抱える女性問題

2021年を迎えた今でも、映画や広告、テレビ番組は依然として、女性が被害者になったり、被害者面をしたりという、従来と同じ役割を描き出しています。女性が従順、無言かつ無力の存在として、欲望の対象となったり、料理を作り、テーブルに並べたり、脇で手を叩いたりしている様子が映し出されることは多くあっても、役員室で大企業を率いたり、国境で戦闘に臨んだりする、現実にいる女性の姿が描かれることはほとんどありません。

全世界のメディアは、ジェンダーのステレオタイプ化を広めているだけでなく、男性に比べて女性を登場させることがはるかに少なくなっています。テレビやラジオ、活字メディアのニュースで、女性が主役として登場するものは4分の1にすぎません。2015年の報告によると、全世界でニュース記事に登場する専門家とストーリーを語る記者のうち、女性が占める割合はそれぞれ、わずか19%と37%に止まっています。

インドのメディアにおけるジェンダーの不平等に関する国連の報告書によると、メディア企業でリーダーの地位に就いている女性の割合は5%足らずであり、デジタル・ポータルでも26.3%にしか達していないことが明らかになりました。

著名なコラムニストのリサ・マンディ氏はかつて、ニューヨーク・タイムスでこう記しています。「論説委員の男女比は、ウォールストリートジャーナルで2対1、ワシントンポストで3対1をそれぞれ超え、ニューヨーク・タイムスでは5対1に達しています。男性はさらに巧妙な形で、権威と専門能力を誇示します。調査によると、ニューヨーク・タイムスの一面記事で、男性の言葉は女性よりも3倍多く引用されていました。女性が記事を書く場合には、女性の言葉の引用も多くなっています。」

では、私たちにも問題があるのか

しかし、もっと重要な問題があります。私たちはマンディ氏が指摘している大きな格差、つまり、メディアにおける女性の不在や存在の薄さに気付いたことがあるでしょうか。私たちはそれに違和感を覚えてきたのでしょうか。それとも、仕方ないこととして受け入れてきたのでしょうか。もし、あらゆるメディアとあらゆる国で、このような巨大な格差があることに気付いていないのだとすれば、私たち自身もおそらく、問題の一翼を担っているのでしょう。

状況は非常にゆっくりとしか変わっていませんが、変化があることは確かです。今では、女優が自分自身を物とみなすような歌を歌ったり、役を演じたり、美白製品や痩身プログラムの宣伝に出たりすることを拒むケースも見られるようになりました。

不正に対して声を上げ、独自のやり方で反抗し、自分自身の政治的意見を主張する強い存在として、女性を描く映画も作られています。しかし、こうした映画はまだ数えるほどしかなく、例外的であることに変わりはありません。私たちはこの2~3年でも、ヒーローが「囚われの姫君」を救出する姿を描くという、極めて紋切り型の人気映画やテレビ番組を何本も目にしています。

前例踏襲でよいのか

企業のあり方の転換であれ、スポーツやエンターテインメントの世界を担う女性との勇気づけられる対話であれ、社会の変革は私たちが望む速さでしか進みません。また、どのような変革にも、初めは不快感が伴います。メディアや視聴者として、私たちにも女性の軽視に対する責任はあるのか、私たちは制作者やジャーナリストとして、メディアにおけるジェンダーのステレオタイプ的描写を助長していないかといった、答えにくい疑問に取り組む必要もあるかもしれません。

世界が急速に大きな変化を遂げ、特に女性が全世界で役員会や議会、人権運動に参画する中で、前例の踏襲はもはや選択肢にはなりません。メディアは、歴史的な偉業を成し遂げているこれら素晴らしい女性たちが、全世界で数百万人の同じような女性たちに刺激を与えられるよう、そのストーリーや声を積極的に伝えるべきです。

敢えて挑戦を

11歳のメーガン妃は、洗剤のコマーシャルで助長されていたジェンダーのステレオタイプ化に敢えて挑戦しました。当時のヒラリー・クリントン米大統領夫人や、当の広告主の洗剤メーカーにも手紙を書いたのです。そして驚くことに、ヒラリー・クリントン氏から返事をもらっただけでなく、洗剤メーカーもコマーシャルを取り下げ、キャッチフレーズを「全米の皆さんへ」に変えることになりました。

わずか11歳のメーガン妃が、これだけ大きなインパクトを及ぼせたのは、ジェンダーのステレオタイプ化に果敢に挑み、男女が平等な世界の実現に向けて闘い続けたからです。

みなさんも、選択の余地があるのなら、ジェンダーに関する偏見を助長する人々や社会規範、メディアに「敢えて挑戦」しようではありませんか。そして、この挑戦によって、あらゆる女性が日本、そして世界中のどこでも、平等な権利を手にできるようにしようではありませんか。


 

 

筆者:
野田章子(のだ・しょうこ)
国連開発計画(UNDP)インド事務所常駐代表。UNDPモンゴル事務所常駐副代表、同ネパール事務所長、モルディブ国連常駐調整官兼UNDP常駐代表等を経て2019年より現職。