「もとの生活に戻りたい」と息子は言う

ガザで働くUNDP職員の手記

2021年5月25日

戦闘の後、瓦礫の中を歩く住民(2021年5月、ガザにて) ©UNDP / PAPP - Mohammed Zaanoon

一瞬おとずれた穏やかな瞬間、家族のためにその日唯一の食事の用意をしていた時に、息子は私の手を掴んで言いました。「ママ、僕はこれまでのいつもの生活が好き、だから戻ってきて欲しい」、と。私は「そうね、きっとすぐに元どおりになるよ」と答えました。しかし、何日も「恐怖の夜」を過ごした後では、自分でも言っていることが真実ではあるとは思えませんでした。

11日前までは、私たちは日常と呼べる生活を送っていました。それは、地域で最も高い確率で新型コロナウイルス(COVID-19)陽性例が発生しており、予防措置がとられている中での生活。地区内外への移動が制限されている生活。若者の約60%が失業中で、人口の80%が援助に頼っている生活です。しかし、少なくとも私たちにとってはまだそれは日常と呼べるものでした。今回の戦闘が始まるまでは。

ひとりの人間として恐ろしかったし、10歳と6歳の子を持つ母として、いつもとは違う行動を取らなければなりませんでした。空爆が行われているとき、子供たちが私に抱きついて震えあがっていたように、本当は私の心も同じように震えていました。しかし、私は子どもたちをしっかりと抱き寄せ、心の中で祈りました。

月曜の明け方、1時半頃、最も激しく恐ろしい空襲が始まりました。私の家周辺には、約50個の爆弾が投下されました。子どもたちは驚いて飛び起きてきました。こどもたちを抱きしめながら、「あなたたちをガザにいさせてしまったことを許してほしい」と心で呟きました。

そうしている間に爆撃音が近づいてきました。廊下からキッチンに移動することに。爆撃はますます激しくなります。突然、建物がガタガタと揺れ始めました。私の心も動揺を隠せません。どこかの窓ガラスが割れ、セメントが崩れる音が聞こえ、そして砂塵が家の中に入ってきました。

同じく恐怖におののく夫を見て、私たちは一瞬にして、非常用袋を持って避難することを決意しました。しかし、その瞬間外に出ることを怯るんだのです。「もし、通りを爆撃していたら?」 私たちは家に留まるべき、選択肢は他にありませんでした。そして、爆撃の音がどんどんと近づき、家が再び揺れ始めました。私たち4人は抱き合いながら、その音がなくなるのを必死に祈りました。次の日は、目を覚ますとまず、お互いの状況を確認しました。「みんな生きてる?」

ガザへの爆撃音が聞こえないように寝るときに耳を塞ぐシャフドの娘

月曜日の昼に、突然ドアベルが鳴り、知り合いが「隣の通りの建物が爆撃されるようだ」と教えてくれました。子どもがそれを聞いていたようで、私のもとに大慌てで走ってきて、すぐに履物を履き、階段を駆け下り、私のアパートよりも安全な場所に逃げ込むことにしました。ミサイルが1発、2発、3発と落ち、4発目には大きな爆発が起こりました。そして、その建物と共に、私たちの魂、他の住人の夢やビジネスもすべて崩れ落ちたのです。私の娘が「もう終わったの?」と聞いてきた時に私は「そうね」と、答えましたが、それは本音ではありませんでした。その後、私たちは手を震わせながらアパートに戻り、私はその日唯一の食事を用意したのです。

母親である私には、泣ける場所はありません。ニュースを随時チェックする中で、被害にあった子どもたちの写真を多く目にしました。一つ一つの体験談を読むたびに、その人の顔が思い浮かび、痛みや苦しみを我が身のように感じました。しかし、子どもたちが私を見ているので涙を流すことはできません。私が立ち上がると「ママ、どこに行くの?」と息子が聞いてきました。「トイレよ」とだけ言い、ひとりになった瞬間に私は崩れ落ちました。ひとりの母として、そして31年間ガザに住み、二度のインティファーダ 、三度の戦争、何十回にも及ぶ衝突、そして愛する人や場所を失っていくのを目の当たりにしたパレスチナ人として、赤ん坊のように泣き崩れてしまったのです。

今夜*、停戦が発表されました。ようやく私たちは廊下ではなく、部屋で寝ることができます。しかし、いまだに娘は爆弾の音が聞こえないようにと両手で耳を塞ぎ、私はまだ倒れている場合ではないので涙を隠します。

*追記: 5月21日に停戦
 

12日ぶりに家から出ることができるようになりましたが、子どもたちと私は、これが終わったらやりたいことのリストをすでに作っていました。今回の衝突の3日目にあるはずだったイード アル=フィトル(ラマダン明けを祝う大祭)のための服に身を包み、アル・レマル地区に行って、(子どもたちがまだ被害を知らない)レストランで食事をすること、(メインストリートが爆撃されてしまった)海に行くこと、(標的となった)娯楽施設に行くことなどです。子どもたちには、そうね、そのうちやろうね、と伝えました。今や、不可能と思われる願いもありますが、涙を流すより夢を見るほうがいいでしょう。

シャフドはガザのUNDP事務所で広報補佐として勤務しています。