人の心を大切に、復興と平和構築に一意奮闘

北東部地域事務所のスタッフと。写真は地域事務所の敷地にて。

ナイジェリアでの生活

(聞き手)―ナイジェリアではどのような暮らしを日々送っているのですか?
 

(横井水穂さん、以下横井)私がいる北東部はボコハラムの攻撃を受けた地域で、よく人から「現地での暮らしは大変でしょう」と気遣っていただくことがあるのですが、私は特に気にならず、現地での生活も「普通です」と答えてしまいます(笑)。もちろん日本での生活と同じとは言えませんが、人々が日常の生活を営んでいて、何も特別な目に会うこともなく暮らしていけるという意味の「普通」です。その場所に行ってどっぷりつかれば、自然とそこでの生活が当たり前になってきます。

 
―日本では、ナイジェリアというと自爆テロや誘拐の報道が多いのですが、実際、街はどのような様子ですか?
 

(横井)私が勤務するマイドゥグリ中心部は、復興が進んでおり破壊されたビルがあるわけではなく、道路端の屋台や「ケケ」と呼ばれる3輪車(トゥクトゥクのような乗り物)の往来(というか渋滞)があり、アフリカの田舎の街という感じです。勿論、まだ治安が安定していない地区はありますが、国連独自の安全対策が取られているので身の危険を感じることは殆どありません。

地域事務所の建物です。

事務所自慢の太陽光発電設備。100%太陽光発電でまかなっています。

マイドウグリ市内の様子。(街一番の目抜き通り!)

「ケケ」と呼ばれる三輪車は地元の人の足。縦横無尽に走り回り、渋滞をよく引き起こす。

ナイジェリアの復興と平和構築

―横井さんはどのような活動を行っているのですか。
 

(横井)主に北東部3県(ボルノ県、ヨベ県、アダマワ県)を中心に活動しています。特に、最もボコハラムによる被害が多いボルノ県で半数以上の活動が展開されています。

わかりやすく言うと、大きく分けて二つの分野があります。一つは早期復興、もう一つは平和構築です。これらを組み合わせて同時に実施し、北東部に復興と平和をもたらすことを目指しています。

復興分野では、人道支援などを通して早期復興を目指し、複合的・包括的な支援を行います。一つのことだけに取り組んでいても復興は進まないので、対象の場所に対して重点的且つ多角的な援助を行うことで、村・地域・社会全体を復興させる手法をとっています。様々な分野からアプローチしており、主に4つの分野で構成されています。

一つは、避難からの帰還後に生活できるような必要最低限の基礎インフラをつくることです。

二つ目は、生計支援と雇用促進です。雇用がなければ生活は成り立ちませんし、また過激派組織に戻ってしまう可能性もあるため、日雇い労働、職業訓練、小規模ビジネスを実施することで、最終的には手に職をつけてもらい、生計を自力でたてられるようにします。

三つ目は、地方行政能力の強化です。特に州政府による復興計画の策定に取り組んでいます。専門性に裏付けされ、かつ人々の声が反映され、住民からから幅広く受け入れてもらえる計画となるように、州政府に対して内容や進め方などについて助言し、信頼されるパートナーとして州政府をバックアップします。

最後に、コミュニティの育成です。避難民の帰還後は諍いが起きることもあるので、人々の結びつきを強め(社会的結合)、どのような問題に対してどのように解決するべきか、コミュニティのなかで考えて解決できるように対話を促進します。

これら復興の活動とつながる形で、平和構築の活動も行っています。

重要な活動の一つが暴力的過激主義の防止(PVE)です。チャド湖地域の4か国(チャド、カメルーン、ニジェール、ナイジェリア)が連携し、安定化に向けた活動の枠組みづくりが行われています。他にも、コミュニティの治安向上にむけた自警団の形成や、異なるコミュニティ間の相互尊重を促進する対話やラジオ放送などがあります。あとは、過激派組織に参加した人々を元のコミュニティに戻す、再統合です。

生計支援の一環として、農民に種子や肥料を配布。

 
―活動の幅がとても広いですね。
 

(横井)便宜上分野で分けていますが、実はすべてが相互に関連しあっています。そこが難しいところでもあります。例えば、インフラ支援として警察署の建物を建て直すことは、行政能力の向上や治安回復につながります。また、貧しければ過激派組織に入るなどしてしまうので、平和構築のためには生計支援も重要です。

このように全てがつながっているので、統合的なバランスやアプローチ方法を考えなければなりません。一つ上手くいかないと、他の全てに影響を与えてしまうので、失敗の糸を切り、成功の糸をつなげる、そしてそれをいかに効率的に行うかが大切です。

 
―難しい方程式のようですが、その分、その土地と人々の未来を左右する重大な任務でもありますね。
 

(横井)解けないパズルを解いていくようなものです。UNDPのリソースも限られているので、その時々の状況や支援のタイミングを見極めることが重要です。タイミングや状況を読み間違えれば逆効果になってしまいますし、人々の心理も理解しなければなりません。経験上、強く感じるのは人の心というものは非常に大切であるということです。コミュニティの人々が被害者意識や心の傷を抱えていると、過激派主義に加わった元戦闘員が地元社会に戻ってきても受け入れることは難しいでしょうし、元戦闘員にとっても、受け入れてもらえず村八分にされると、復讐心や敵対心を抱くことになり、過激派組織に残ることを選んでしまう可能性があります。そういった点でも、先ほど述べた地域づくりやコミュニティの復興を迅速に進める上で、支援や物事の順番も考えなければなりません。

UNDPが3年前から復興しているンゴム(Ngwon)村にて。「Mungode」は現地の言葉で「ありがとう」。

国連職員としてのキャリアとUNDPの魅力

―UNDPの仕事のどんなところが好きですか。
 

(横井)UNDPでのキャリアは今年で20年になります。もともとガバナンスが専門のため、UNDPを選びました。UNDPは活動分野が広くなんでもできます。それが弱みと言われることもありますが、私は強みだと思います。復興計画の策定の場合だと、教育や保健や環境というように一部だけでなく、全般にわたって関わることができますし、そのノウハウをUNDPはもっています。

駆け出しの頃、ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)でガーナに派遣された際に選挙支援に携わり、同国で初めて選挙を経て平和裏に政権交代が実現した瞬間に立会いました。歴史に残るような国づくりに関わることができたことが印象に残っています。転換期の真只中でその国の人々が困難を乗り越え、希望をもって新しい生活を切り拓くにあたって、国づくりから人づくりまで、さらには様々な分野でお手伝いできるのは、UNDPの魅力です。

人間開発や人間の根本的な生き方、幸せについて言及しているところもUNDPの魅力だと思います。支援の対象となる方々のなかには、我々が体験するのと比でないような大変な思いをなさっている方もいますが、それでもたくましく生きている彼らの姿を見ると、人間の強さを感じて、いつもエネルギーをもらいます。

―国連職員を目指している若い人にメッセージを一言お願いします。国連職員にはどんな資質が求められていると思いますか?
 

(横井)失敗してもへらへらできる人、ですかね(笑)。つまり、「失敗は次の成功のもと」と考え、踏んだり蹴ったりされてもめげないで何度もチャレンジするしぶとさが大切なのではないでしょうか。私自身、何度「もうダメだ」と思った時があったか分かりません。開発という仕事に困難はつきものですが、それでもなお果敢にチャレンジできることが求められると思います。度重なる困難の中に解決策を見つけ、人々の役にたてたと思える時はやりがい感もひとしおです。


横井水穂(よこい・みずほ)
1998年、JPOとしてUNDPガーナ事務所にて赴任(ガバナンス担当)したのち、UNDP東京事務所、UNDPアフガニスタン事務所、UNDPマラウイ事務所、UNDPイラク・エルビル事務所を経て現在ナイジェリア北東部地域事務所長として紛争・危機対応などに従事。
明治大学政経学部政治学科卒業。アメリカ ミシガン州立大学 公共政策学修士号およびコロンビア大学にて国際関係学修士号を修得。